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国鉄・旧型電気機関車
旧国鉄では、1912年(官営鉄道時代)に信越本線碓井峠でアプト式10000形(のちのEC40形)を導入して以降、しばらくはアメリカ・イギリスなどからの輸入機で運用していました。
電気機関車の国産化は、1926年に日立製作所がED15を開発、続いて鉄道省が1928年に輸入車を参考にEF52を完成させたのが始まりで、その後は国産電機機関車を導入し発展してきました。
戦後、1946年には旅客用のEF58(1952年以降改良型となる)、同時期に貨物用のEF15がそれぞれ登場、1954年には2車体連結のEH10が製造されるようになりました。
EF57
EF57は、当時の鉄道省が東海道本線での優等列車のけん引を目的として導入した旅客用電気機関車で、1940年から1943年の間に17両が製造されました。
東海道本線~東北本線等で活躍し、歴代の有用列車を牽引して1977年まで活躍しました。
Nゲージ
NゲージではKATOが以前より製品化しています。
自分が所有しているのはもう20年以上前に購入した旧製品ですが、製品のクオリティが非常に高く、現在も動力の調子が悪くなくレイアウトで旧客牽引の仕業で運用されています。
静態保存機(実車)
7号機は1942年に製造され、東海道本線~上越線~東北本線と活躍し晩年は宇都宮運転所に配置され1978年に引退、1980年以降は宇都宮市内の宇都宮駅東公園で静態保存されています。
EF58
終戦後の旅客輸送力増強用として1946年に登場、1952年の増備車では車体が半流線形デザインが一新され、その後初期車も新車体への更新・改造が実施されました。
国鉄民営分割後も5両はJR各社に継承されましたが、現在は全て引退となっています。
Nゲージ
1952年に登場した改良形のEF58では、暖房用のSGを搭載するスペース確保のために車体と台枠を延長して半流線形デザインの新しい外観となりました。
当初は機関車標準色であるぶどう色2号(茶色)塗装となっていました。
1965年以降は一部を除き新性能直流電気標準に順次変更されました。
上越線に投入されたEF58は、冬季のトンネル出入り口に垂れ下がったつらら対策として前面窓に大きなひさしが設けられ、汽笛にもカバーが取り付けられていました。
61号機は、1953年東海道本線名古屋電化の際に「お召し列車牽引指定機」として特別な装備を施して新製されました。
外観上は運転台前面から側面まで続くステンレスの飾り帯が特徴となっています。
・ブルトレ色(掲載準備中)
静態保存機(実車)
EF58は、旧型電機機関車にも関わらずその使い勝手の良さから長期に渡り運用され、自分が子供の頃(1970年代)も各地で活躍していました。
現在でも、鉄道博物館・碓井峠鉄道文化むらでその姿を見ることができます。
その他
Nゲージ
★ED17
元は東海道本線東京-国府津間電化開業に向け、区間旅客列車用として1923年にイギリスのイングリッシュエレクトリック社から輸入された電気機関車1040型で、1928年の称号変更では、ED50に変更、1931年に中央本線甲府間が電化開業用への転用の際、ED17となりました。
鉄道省がEF53をベースとして1937年に導入、計12両が製造されました。
暖房用の蒸気発生装置が新たに搭載され、その配置の関係でパンタグラフが中央に寄せて設置されたのが大きな特徴。
国鉄・新性能電気機関車
国鉄の電気機関車の新性能化は交流用の開発が最初で、1955年の仙山線での試験を経て1970年に北陸本線向けに量産形としてED70が投入されました。
直流型電気機関車についてもその技術をベースに新性能化が図られ、1958年にED60が登場、1960年には主要幹線用としてEF60の量産が開始されました。
EF64
Nゲージ
EF64は、奥羽本線の福島~米沢間で1964年から1965年にかけて試作車を含む12両導入され、板谷峠越えの輸送力増強に活躍しました。
1966年の松本電化用として中央東線に16両が投入、奥羽本線に配置された1次形全車中央東線に転属となり、1976年までに全車が中央東線に集結する形となりました。
EF80
Nゲージ
★EF80
1961年の常磐線取手〜勝田間の電化の際に登場した交直両用機関車で、1963年までに63両が製造されました。
導入時期により1次形と2次形に分類され、前照灯や台車など細部に違いが見られました。
EF81
Nゲージ
関門トンネル用EF30の増備車として1973年から1974年にかけて4両が製造、全車が門司機関区に新製配置されました。
関門トンネル用の特殊仕様車で、海水の腐食防止対策として車体外観がステンレスとされました。
門司機関区のEF81-300番台4機のうち、301号機と302号機は1978年10月のダイヤ改正の際に常磐線の内郷機関区に転属となりました。
その際、保線係員との接触対策として車体が一般車と同じ赤13号に塗装されました。