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越後交通
新潟県長岡市を中心に路線を持つバス会社ですが、かつては長岡線(来迎寺駅-寺泊駅間)39.2kmと栃尾線(悠久山駅-栃尾駅間)26.5km の2つの鉄道路線を所有していました。
長尾線は 1995年4月1日(旅客営業は 1975年4月1日)に、栃尾線は 1975年4月1日にそれぞれ廃止となりました。
越後交通の1400形は元小田急の1400形で、1929年の江の島線開業と同時に製造、1968年に引退後2両が西武所沢工場を経由して越後交通に8両が譲渡され、越後交通モハ1400形・クハ1450形として長岡線で活躍しましたが、1975年の同線旅客営業廃止に伴い、全廃となりました。
鉄道コレクションでは、第8段でクハ1451・モハ1401の2両が製品化されています。
新潟交通
新潟交通は、現在はバス会社として新潟市を中心に路線バスなどを営む会社ですが、かつては燕市から白山前駅(新潟市内)に至る36.19kmの鉄道路線を運営していました。
このうち、白山前駅から2.2kmの区間は軌道線扱いとなっていました。同路線は、1999年4月5日に全線が廃止となり、路線バスに転換されました。
1933年の路線開業時に製造された貨物列車用の車両で、路線開業以降は、単独・又は国鉄からの直通貨物を牽引するなどの形で使用されました。冬季には除雪用車両(キ1形やキ100形など)による除雪列車運転時の動力車としても使用されました。
現在は月潟駅で保存されているそうです。
新潟交通モハ14は、新潟交通のかぼちゃ電車ラッピングのバスと合わせてオープンパッケージで製品化、排障器が取り付けられ、ライトはレンズ埋め込み、運転席窓の行先表示器も表現されています。
モハ14は、1963年にモハ11形から更新工事を受け日車標準車体が載せられました。
富山地方鉄道
本線(電鉄富山駅-宇奈月温泉駅)や立山線を中心に、富山県東部に総延長キロ 100.7km(2015年3月14日現在)の路線網(鉄道路線及び軌道路線)を持つ私鉄です。
元名鉄3800系で、1967年から1969年にかけて14両が名古屋鉄道から富山地方鉄道に移籍しました。
当初は名鉄色で使用されていましたが、1972年に立山線特急に使用するためにブルーに白帯塗装に変更されました。
14720形は1962年に日本車輌製造で2両が製造されました。
車体などは10020形とほぼ同形の18m2扉車ですが、14720形では1M方式となり主電動機の出力が高くなっています。
鉄道コレでは、ワンマン化後・晩年の14722編成が製品化されました
14750形は、1948年に製造された運輸省規格形の車両で、4両が製造、18m級2扉車で、吊り掛け駆動方式、登場時はモハ15000形2両とクハ1050形2両でMT編成となっていましたが、1951年にクハ2両が電装化されました。
モハ14753は片側が貫通化されたまま最後まで運用されていました。
14790形は、1955年に富山地方鉄道初のカルダン駆動電車として2両が新製、当初は車体の両端に運転席を備える両運転台構造となりましたが、1958年にクハ171が電装化されモハ14772となりました。
鉄コレでは、第16弾で3枚窓のモハ14791が製品化されました。
モハ14772は、1955年にクハ171として製造、1958年に電装化されました。
1989年に更新工事が実施され、正面窓が3枚窓から2枚窓に変更、側面の客用扉は乗務員室の直後に配置されました。
鉄道コレでは、モハ14720形2両1本と合わせての3両セットで製品化されました。
同鉄道初の冷房車として1979年に登場、日本車輌製造製で1981年までの3年間に2両編成×7本(14両)が製造されました。
2011年に公開された映画「RAILWAYS:愛を伝えられない大人たち」のハイライトシーンでは、このうちモハ14761-モハ14762編成が使用されました。
デビュー当初白色とグレーの塗装にあずき色のラインが入ったカラーリングでしたが、その後一部の編成は、上半分が黄色で下半分が緑の新塗装に変更されています。
鉄道コレクションでは、この新塗装車のうち、モハ14769+モハ14770編成がオープンパッケージで製品化されています。
北陸鉄道
かつては石川県加賀地方全域と能登地方に沢山の路線を持っていましたが、モータリゼーションの影響で廃止が進みましたが、現在は石川線(野町駅-鶴来駅)、浅野川線(北鉄金沢駅ー内灘駅)の2路線 20.6kmを運営しています。
6000系は1962年に2両編成1本のみが製造され、主に山中-大聖寺間で山中線の看板列車として運用されていましたが、1971年のに加南線全線が廃止以降は大井川鉄道に譲渡され、トレーラーとして他車と連結し使用されていました。
元東京メトロ03系で浅野川線で運用されている8000系の老朽化に伴う置き換え用として2020年から導入が開始されました。
1編成目の導入車は2020年12月より運用を開始し、最終的には2024年までに2両編成5本(10両編成)が導入される予定となっています。
長野電鉄
長野駅と湯田中駅を結ぶ 33.2kmの路線を運営する鉄道で、かつてはこの他にも河東線(信州中野駅-木島駅間 50.4km)や屋代線(屋代駅-須坂駅間 24.4km)なども運営していましたが、いずれも2000年以降に廃止になっています。
モハ1004は基本的にはモハ1003と同様に製造当初は両側とも非貫通の前面でしたが、1958年の貫通扉取り付け工事の際、両側に貫通扉が設置されモハ1003との外観上での違いとなりました。
鉄コレではモハ1004・クハ1551・モハ1501の3両セットで製品化されました。
1951年に日本車輌で製造されたモハ1501は、1951年に製造、クハ1551は戦前製の木造車を車体鋼体化した車両。
西日本
三岐鉄道
三岐鉄道は、三重県北勢地方に三岐線と北勢線の2路線を持つ鉄道で、このうち三岐線は四日市市の富田駅といなべし市の西藤原駅を結ぶ26.6kmの路線です。
旅客用の車両は、最近まで西武鉄道からの譲渡車で統一されていましたが、先日JR東海からの譲渡車となる211系が搬入され話題となっています。
★601系
元西武鉄道の451系及び571系で、1981年から1982年にかけて元451系が2両編成3本、1988年に元571系2両編成1本が導入されましたが、このうち、鉄道コレクション第7弾でクモハ601-クハ1602の601編成(元西武451系)が譲渡されました。
近江鉄道
近江鉄道は滋賀県東部で3路線を運営する鉄道で、全線単線の電化路線です。
かつては、レールバスを導入した時期もありましたが、現在は元西武鉄道の車両を保有し、自社工場で大規模な改修工事を行ったものもあります。
★モハ51
元は川崎造船所で造られた木造両運転台の電動貨車デワユ101・102を、1941年に日本鉄道自動車で鋼体化・旅客車化改造を行い、車番もモハ51と改番したものです。
近江鉄道では 1978年まで使用されましたが、その後廃止となり銚子電鉄に譲渡され、同鉄道のデハ701となりました。
叡山電鉄
叡山電鉄は、京都に叡山本線・鞍馬線の路線を運営する鉄道で、元京福電気鉄道が運営していた同線を1985年に引き継ぎました。
路線は京都市近郊の生活路線・及び比叡山や八瀬比叡山口までの観光・行楽路線としての色合いが強く、特に鞍馬線は50‰の勾配のあり山岳路線となっています。
旧形車(デハ500形)の下回り流用して新製された形式で、1979年から1980年にかけて6両が増備されました。
後継となるデオ900形の登場以降廃車が進み、最後まで残ったデオ603+604の2両も2008年11月に引退しました。