太平洋戦争後の1947年に八高線で客車列車の脱線転覆事故が発生し、その際に使用されていた木造客車の車体強度が問題になり、1949年以降既存の木造客車から鋼製客車への改造が開始されました。
木造客車からは台枠・台車・自動連結器・自動空気ブレーキ機器などが流用され、鋼製の車体のみが新製される形で約3,500両が導入され全国で活躍しましたが、これらの客車を総称して「鋼体化客車」と呼ばれました。
このうち初期のグループ(オハ60系)は、側面の窓枠が700mm・座席2区画で窓が3枚という木造客車時代と同じ窓割となりました。
一方、1950年以降に登場した鋼体化客車では側面の窓枠がスハ43系同様に1m幅になるなどの仕様変更が行われ、このうち本州以南向けのグループがオハ61系・北海道向けがオハ62系とされました。
オハ61系の外観はスハ43系と似ていますが、座席数が43系よりも狭く配置されているため側面窓は1組多く配置されています。
台車は改造前のタネ車からの流用でTR11形がそのまま使用されました。
管理者がNゲージとして所有しているのはKATOの単品からなるオハニ61・オハ61・オハフ61の3両編成で、当鉄道では固定編成で運用されています。
3両編成のうち両端はKATOマグネティックナックルカプラーが装備され、指定機となるC11やDE10との自動解放が可能。
中間の連結器はアーノルドカプラーからKATOナックルカプラーが装備され、室内灯も装備されました。
オハニ61 239
品番:5269
1950年から1955年にかけて製造された3等座席荷物合造車で、初期車はスハニ61として導入されましたが、ローカル線での牽引両数確保のため、1954年に荷物室の荷重変更が実施され、オハニ61に変更されました。
↑ 機関車連結面にマグネティックナックルカプラーを装備
↑ 荷物室側側面の様子
↑ 車両中間部側面の様子
オハ61 767
品番:5266
オハ61形のうち0番台(1~1052)は、1951年以降投入された形式で、後にその一部がオロ61・オロフ61・オハ64などに改造されたり、緩急車化・セミロングシート化されました。
↑ 両端にはKATOナックルカプラーを装備
↑ 車端部側面の様子
↑ 側面中央部の様子
オハフ61 538
品番:5267
オハフ61形のうち0番台(1~795)は、1950年以降導入された三等緩急車で、初めて車掌室が車端に移され、客室との間に出入口が設けられました。
また、客車としては初めて尾灯が妻面の埋め込み形式で取り付けられました。
↑ 側面中央部の様子
↑ 側面車端部分の様子
↑ 台車はタネ車からの流用で、TR11形を履いています。
↑ 車端部(車掌室側)の様子です。