品番:3003
EF57は、EF56の出力増強型として1940年から1943年までの間に17両が製造された旅客用電気機関車で、当初は東海道本線で特急列車などの牽引しました。
その後は上越線用に転用され、晩年は宇都宮機関区配置となり東北本線で活躍していましたが、1975年から1977年の間に全車引退となりました。
外観上EF56後期型と基本的なスタイルが同じ1号機
1号機は、当初はEF56-13号機として製造される予定でしたが、主電動機が従来のMT17から新たに開発されたMT38への変更され、定格出力が1,350kWから1600kWに増強されたことから、形式名があらためられ、EF57となりました。
そのため、パンタグラフを中央に設置したEF56にみられるウィークポイントもそのまま踏襲する形となってしまいました。
※ウィークポイント
・機器室内の温度上昇(EF56から抵抗器容量が変更されているのでより深刻)
・近い距離の2基のパンタグラフによる架線押上力が増大し(故障の原因)
2号機以降では外観などで設計変更を実施
上記のウィークポイントの対策として2号機以降では設計変更が行われたため、外観が大きく変わりました。
・パンタグラフ2機を車体両端一杯に寄せられたやや高い位置に設置。
・空いたスペースにベンチレーターを増設
1949年の浜松電化の際、跨線橋やトンネルの高さ制限の関係からパンタグラフの高さを100mm下げる改造が必要となり、この対応により2号機以降のパンタグラフは更に前方に450mm移動させ、先方に突き出た特異な形となりました。
↑ パンタグラフは、アウトリガーを張り出し車体からオーバーハングする特異な外観となりました。
東海道本線から上越線への転用
1952年以降、定格出力1,900kWクラスで自動式暖房ボイラーを搭載した改良型EF58の大量増備が開始されると、出力の劣るEF57は優等列車牽引の座をEF58に譲り、普通列車や急行貨物列車(急行小口列車)の牽引の運用が中心となりました。
更に1956年の東海道本線全線電化を控え、性能やボイラー能力などで長距離運用に課題のあるEF57は全機高崎第二機関区へ転属となり、上越線で運用されるようになりました。
その際に耐寒・耐雪の対策が施され、スノープラウ・前面窓のつらら切り・ホイッスルカバーの取り付けなどが行われました。
上越線では5年程度運用されていましたが、上越国境の峠越えが出力的に厳しかったことから、新潟までの電化延伸開業を前にEF58と置き換えとなり、全機宇都宮機関区へ転属となりました。
↑ 前面窓の「つらら切り」は、上越線用に転用された際に設置されました。
晩年は東北本線で運用
宇都宮転属後は、東北本線上野~黒磯間の客車列車牽引で運用されました。
1965年から1967年にかけて蒸気暖房(SG)から電気暖房(EG)への交換に伴う改造が実施され、屋上の煙突の代わりにベンチレーターが増設、運転台脇の電気暖房用パイロットランプの設置などが行われました。
東北本線ではEF58と共通運用となり、EF58と重連を行う場面も見られましたが、老朽化のため1977年までに全車廃車となりました。
Nゲージ:KATOの旧製品
自分が所有しているのはもう20年以上前に購入した旧製品ですが、製品のクオリティが非常に高く、現在も動力の調子が悪くなくレイアウトで旧客牽引の仕業で運用されています。
最近になって連結器をKATOナックルカプラーに交換しました。
↑ ナンバープレートは「9」号機を選択
↑ 前面の様子
↑ 側面の様子 その1
↑ 側面の様子 その2
↑ 側面の様子 その3
↑ 3軸台車の様子。
↑ 連結器は両端ともKATOナックルカプラーを装備。
↑ パンタグラフ付近の様子
↑ 屋上の様子。
1号機ではパンタグラフ設置されていた中央部分にはベンチレーターが設置されています。
↑ ここにはベンチレーターが設置されています。
おそらく晩年(宇都宮機関区時代)にSGからEGへの取り替え工事実施後の状態かと思います。(自信ありません、もし違っていたら、ご指摘をお願いします。)
↑ 反対側の運転席付近の様子です。