EF81概要
EF81は、直流電化・50Hz及び60Hzの交流電化と異なる電化方式の区間を持つ日本海縦貫線を直通できる電気機関車として開発され、北陸本線糸魚川-直江津間の電化開業に合わせた1969年に導入・営業運転が開始されました。
1979年までに156両が装備され、日本海縦幹線や常磐線などで活躍した他、ステンレス製車体の300番台が関門トンネル区間の特殊運用で使用されました。
1987年の国鉄民営分割化では全車がJR各社に継承された他、その後も一部仕様変更の上増備が行われ、最終的には184両の勢力となりました。
現在は老朽化のため淘汰が進んでいます。
EF81が開発された背景
日本縦貫線では1957年の田村駅-敦賀駅間の電化開業以降、北陸本線では交流電化(20kV/60Hz)により東側への延伸が進みましたが、新潟地区ですでに上越線が直流電化されており、東京-新潟間の輸送密度が高いことから、長岡ー新潟間も1962年に直流電化されました。
更に羽越本線では村上以北が交流(20Kv/50Hz)による電化が行われることとなり、これら3電源方式を直通することができる新たな交直流両用の電気機関車の導入が必要となりました。
交直流両用の電機機関車としては既に常磐線でEF80が運用されていましたが、1台車1電動機方式で動力伝達にクイル方式を用いるなど、EF80の機構面には特殊性があり、北陸トンネル等での通し運用での粘着性や電動機の容量等で問題があったことから、新たな交直流両用電気機関車の開発は、EF65をベースに設計が行われることとなりました。
基本仕様
車体は、国鉄新型電気機関車の標準的な形態ながら交直流機器を収容するために機器室が拡大され、全長18m級、幅2,900mmの大型車体となりました。
本機1両での列車牽引を前提とされたため、重連運転用の総括制御装置は搭載されず、正面は貫通扉がない非貫通のEF80やEF65などと同様のデザイン、外部塗装は交直流車両標準のローズピンクが採用されました。
従来屋根上にあった高圧機器は室内に収納、主抵抗器は大型のカバーに収められた為、屋根裏はすっきりしています。
パンタグラフは雪害対策と小型軽量化のため下枠交差式のPS22形が搭載されました。
軸配置は一般的なB-B-B型で、1軸1電動方式を採用、主電動機は国鉄新性能電気機関車では標準的に採用されていたMT52型を6基吊り掛け方式で搭載しました。
旅客列車用としては、交流区間では主変圧器の3次巻線から、直流区間ではサイリスタインバータから暖房電源供給が行われました。
基本番台車
量産先行車となった1号機を含めて1968年から1969年までの間に38両が導入、その後日本海縦貫線での電化延伸や東京地区での運用拡大等により、1979年までに計152両が増備されました。
日本海縦貫線では、交流専用機のため運用効率で問題のあったEF70を置き換えて北陸本線米原-田村間を直通化し、新潟地区の直流区間でもEF15やEF58などの老朽機を淘汰して本形式による直通運転化が進められました。
東京地区では、1973年に田端機関区に13両が新製配置され東北本線の隅田川-福島間の貨物列車牽引等に運用されました。
1982年以降、常磐線でのEF80老朽化に伴う置き換え用として酒田区・富山二区・敦賀区から日本海縦貫線用に運用されていたEF81の一部が転用されるようになり、田端区のEF81も常磐線で運用されるようになりました。
300番台
300番台は、当時関門トンネルで運用されていたEF30の増備車として1973年から1974年にかけて4両が製造され、全車が門司機関区に新製配置されました。
関門トンネル用の特殊仕様車で、海水が滴下する高湿度環境の関門トンネルを含む区間で使用されることから、その腐食防止対策として車体外観がステンレスとされました。
板厚が普通鋼製より薄いため、車体強度確保のため下部全周に歪みを防ぐコルゲート処理が施されました。
運転区間が門司-下関間という短区間であったことから、電気暖房用の電源(EG)は装備されず、スノープラウや砂撒き菅ヒーターの取り付けも見送られました。
300番台(ローズピンク)
301号機と302号機は、常磐線で老朽化したEF80の置き換え用として1978年10月のダイヤ改正の際に内郷機関区に転属となりましたが、その際に保線係員との接触対策として車体が一般車と同じ赤13号に塗装されました。
常磐線の運用では、寝台特急ゆうづるや一般形客車列車・貨物列車など牽引などで幅広く活躍していました。
1982年11月のダイヤ改正で内郷機関区から田端機関区に転属となり、十和田やゆうづるの牽引も見られるようになりました。
1985年に2機とも門司機関区に復帰しましたが、その後のローズピンクのまま使用されていました。
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